絆考 その1

東日本大震災が起き多くの命が奪われました。そして多く人たちが苦しい被災生活を送っています。日本だけではなく世界各地からも支援輪が広がり、人の優しさの力のすごさを再認識しました。「2011年の漢字」では「絆」という字が選ばれたように、日本中で「絆」の大号令のもと被災者支援、被災地支援が取り組まれました。優しさのつながりです。
 私たちの日本は地震の多発地帯であり、台風の通り道でもあり、これまで数多くの災害に見舞われています。災害と共に生活を築いてきたといっても過言ではないでしょう。小さな国土のなかで私たちの祖先から代々、災害に向き合い、命を守るために寄り添い、支えあいながら難をすかし、いなし生活してきたのです。寺田虎彦著「天災と国防」にも、「数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな優れた諸相が作り上げられたことも事実である」と論じているとおり、「お陰様」や「お互い様」などという考え方(文化)は、そこから生まれ受け継がれてきたとも言えるのではないでしょうか。
 しかし、今巷で叫ばれている「絆(キズナ)」の連呼には多少の疑問を抱かずには入れないのも事実です。被災者支援に用いられる「絆」にはさほど違和感はないのですが、「これからの時代は絆です」とか「今こそ失われた絆を取り戻すときです」などいうメッセージをテレビや新聞などから受け取ることが非常に多くなっています。「絆」が命を救う。絆が地域を守る。地域を活性化させる。すべての万能薬のように用いられつつあります。
 本当にそうなのでしょうか。「絆」とは何なのか本当に判って使っているのでしょうか。

「絆」を殆ど方は「きずな」と読みます。しかし、もうひとつの読み方があることはあまり知られていません。それは「ほだし」と読みます。読み方が違う以上、その意味も多少違ってきます。「きずな」は「つながり」とか「結びつき」といった意味となりますが、一方「ほだし」は「しきたりや村社会などでの決まりごとからの、いやといえない関係性」を言います。「何歳になったら青年団に入らなければならない」とか「地域の行事には何があっても参加しないといけない」などのことです。そうです、昭和30年代ぐらいまで日本社会には普通に存在した仕組みでもあります。今でも残っている地域もありますが、もう殆どが無くなりました。個人主義、核家族、団地、アパートなど高度経済成長と共に、そういう煩わしさをあえて無くしてきたとも言えます。言い方を変えれば、この「ほだし」の無い現代の社会を望んで作ってきたのです。そして、尊い多くの命を失い大合唱が始まったのです。「絆」の。

 単に「地域のつながりが大事だ」というのならば、昭和40年代から言われていることであり、それだけでは意味がないことは、これだけ時間が経っても何ら改善されていない現実を見れば明らかでもあります。そこで、もう少し「絆(ほだし)」について掘り下げていこうと思います。   つづく


絆考 その2

「絆 ほだし」この言葉を「因習」「しがらみ」とかに置き換えられて、この文化を私たちは遠ざけてきました。それは何故でしょうか?

 50年ほど前の日本は、今のように各家庭に自家用車はなく、スーパーもコンビニもない。救急車も現在のようにすぐには来てくれない。消防車も少ない。病院も少ない。公共交通も少ない。そんな社会でした。だからこそ「ほだし」が必要だったのです。地域住民同士で命を守りあわなければならなかった社会だったのです。その為に「村社会」をつくり「掟(ルール)」をつくる。そうしないとどうにもならない現実があったからです。「ちょっとお醤油かして~」っと隣に借りにいく。当たり前の仕組みだったのです。今そんなことをお隣さんに言ったら変な目で見られてしまいます。それは自分だけの力で手に入れることが、何の問題もなく出来る社会だからです。便利な社会になり、地域でつながらなくても生活できる社会に発展し、「ほだし」の文化は消えてしまったのです。防災に関しても、みんなで命を守りあってきたものを「ダム」や「防潮堤」に置き換える。地域で危険を感じ取っていたものを、行政の防災無線の拡声器に置き換える。そして本当に災害に向き合った時、それらが如何に無力なものかを知らされる。3月11日がその日だったのです。


絆考 その3

 「行政が守ってくれるから」「ダムが守ってくれるから」そんな依存体質が、いつしか災害を甘く見る体質へと変化し、いつしか私たちは災害に対して脆弱な社会を作り上げてしまったと考えられます。しかし、そこからの脱却方法は、今一度「防災・減災」の基本である、「自分の命は自分で守る」に立ち返ることではないかと思います。

 昨年の大津波で、岩手県宮古市田老区では大変多くの被害が発生しました。しかし、その田老区でも昭和10年代からは防災避難訓練時の掛け声は「人助けるな!物もつな!」と言って訓練していました。「絆」とは全く逆の言葉です。昭和8年の三陸地震津波災害の教訓から生まれた言葉です。一人一人が災害と正しく向き合い、自分の命は自分で守ることが基本だということを、この掛け声で伝えていたのです。「津波てんでんこ」も同じ意味でつくられた言葉です。しかし、津波防潮堤ができるとともに「壁が守ってくれるから」になり、掛け声も街から消えていったのです。254人の消防団委員と56人の民生児童委員があの津波で命を失いました。そのうちの6割近くは、まだ避難していない人たちを避難をさせようと努力されていた。このほかにも多くの町内会の役員さん、自治体の職員の方々が、まだ逃げていない人たちのために命を落とされた。このようなことは絶対にあってはならないのです。
 
 こうして考えると、これからの防災減災を考える上で大切なのは「絆」ではないと思います。全く否定するわけではありませんが、やはり原点である「自分の命は自分守る」を、しっかりと見つめていかなければならないと思います。その視点があってこそ、自分で守れない方々(要援護者)は、みんなで守る。このことの意義も伝わると思います。