先月、私の父親が亡くなった。86歳だったから大往生と言ってもいいのだろう。私と違って真面目な人で、ずっと繊維工場で勤めて定年退職し、その後はシルバー人材センターからの仕事をしていた。その後、癌になり、骨折したりで、病院を入ったり出たりの繰り返しで、とうとう最後は誤嚥性肺炎で亡くなった。本人は100歳まで生きると言って、毎日、血圧を図り記録を取って、心臓やらなんやらの大量の内服薬もきちんと飲んでいた。と、考えると100歳まで14年も残しての往生は、「志半ば」となってしまうのだろうか。無念だったのか。きっとどのような死も、無念なのかもしれない。
災害に関わるようになって、常に『死』は傍にいます。いつも『死』を遠くへ持って行くことを考えて防災をしています。では、私は自分の『死』をどう考えているのか。最近柄にもなく考え込んでいます。親父のように長生きしたいのか?できれば早死にしたいのか?なるようになると泰然自若とまかせるのか?(これは無いな。ここまでの悟りの境地・・)
今朝のNHKのニュースで、「救命処置を断られる事案が急増している」と報じていた。高齢の方が、持病等により心肺停止になって、家族が慌てて119番通報してしまい。その後、「本人に希望により、延命処置はしないでください」と家族が署員に訴えて、消防署員も困惑しているそうだ。慌ててしまう心理も解るし、緊急出場したならば救命対応しなければならない消防のジレンマも解る。ただ、目の前の命を他人が判断できるのは医者と自分だけだ。普段から自分の命について考えるのも、そう悪いものでもないのかもしれない。
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